涙の中に小さな光の種がある 誰も間違いなんかじゃない〜やっちゃんの書と音楽と〜

よるのおとがする

 

小さなよるの

 

その中に一人、一人の横顔が見える

 

くるまいすのあの子

 

手術をするため遠くの街から来たあの子

 

自分を支えてくれた家族にいつかありがとうと言いたいと言って泣いたあの子

 

私がいるからお母さんは悲しい

 

それが悲しいと言って泣いたあの子

小さな不自由な体いっぱいに

 

たくさんの葛藤とやるせなさとをためていた子どもたち

そうだよね

 

やるせない時もあるよね

 

もどかしい時もあるよね

 

だけどね、でもね、そんな君たちの涙はきっと きっといつか

誰かのために小さな芽を出すための水になる

温かな温かな水になる

10月の1日から31日までアサヒ薬局では、ダウン症の書道家藤瀬泰寛さんの書道展が行われました。

やっちゃん、藤瀬泰寛さんは、お母さんの利恵子さんとお父さんの雅胤さんの元に産まれます。

 

でも、産まれてからずっと赤ちゃんのやっちゃんは泣きません。

おっぱいを吸いません。

 

ずっと寝ているやっちゃんを見て、利恵子さんは何かが変だと思います。

 

心室中核欠損症だったやっちゃん、受診した医大でダウン症の診断を行けます。

やっちゃんの21番目の染色体は3本あるトリソミーでした。

 

障害のある子どもを育てているお母さんにとって事実を受け入れることはなかなか容易ではありません、

 

利恵子さんも一度だけ迷うことがありました。

 

でも小学校の先生をされていた利恵子さんが障害を持った子どもたちと関わってきました。

 

「この子は私を選んできたんだ、私が育てるんだ」

 

そう決心をします。

 

心臓の病気や喘息、医大や整肢学園へ入院を繰り返すやっちゃんを藤瀬さん一家はみんなで育てていきます。

 

 

 

やっちゃんのお姉さん佳奈美さんはやっちゃんが産まれた時二歳でした。

 

我儘が言いたい頃。でもやっちゃんの障害を知った佳奈美さん、赤ちゃん言葉を使うことなく

 

小さいながらも一生懸命やっちゃんのお世話をします

 

やっちゃんが小学校にあがる時、佳奈美さんは三年生。

 

歩こうとしないやっちゃんを引っ張り学校へ連れてゆくのは佳奈美さんのお仕事でした。

 

絵カードを使って信号の渡り方を教えてあげます。

 

 

休み時間ごとにやっちゃんがちゃんと過ごせているか

いじめられたりしていないかやっちゃんの教室を見に行きます

障害があってもこの子は

 

「生きていかなければならない」

 

だからやっちゃんに生きる力を身に付けせてやりたい、藤瀬んさんは思います。

 

でも障害のある子が行く場所がない、

そんな中藤瀬さんは仲間の永尾さんと伴に笑育舎を立ち上げられます

その名前には、子どももだけれど、親も一緒に笑い合って育ちあうという願いをこめました。

 

周りの障害のある子どもを育てるお母さんたちは自分のことを責めたり不安や悩みを抱えていました。

だからお母さんたちも笑えるように、一緒に育ちあっていこう

 

 

公民館の一室で、みんなでおやつやごはんを作り、勉強を教えました。

生活ができるように、そんな想いで一緒に買いものに行きます。

 

「歩いていく」

 

「選ぶ」

 

「お金を払う」

 

という判断力と行動力を育てることを意識して織り込んでゆきます。

 

ゆっくりでいい。一歩一歩できるようになるから、

 

そう信じて藤瀬さんたちはそれからずっとこれまで笑育舎を続けてこられました。

障害のある子どもを持ったお母さんたちが一番に思うこと。

 

私が死んだらこの子はどうやって生きてゆくのだろう。

 

あどけないやっちゃんを見て、藤瀬さんもまた同じことを思います。

その時藤瀬さんは決めます。

 

「  やっちゃんを知ってる人を一人でも多く作ろう

 

私がいなくなっても、ちゃんと食べているか、

 

生きているか、気にかけてくれる人を。

 

一人でも多く  」

 

そんな時、藤瀬さんはボランティア講座で一人の大学生と出会います。

 

重松考信さん、佐賀大学の教育学部の学生でした。

重松さんは学生たちに呼びかけ、一人、また一人と笑育舎の活動に参加されます。

 

それからやっちゃんに勉強を教えたり、一緒に遊んだり、やっちゃんの周りにはいつも誰かがいて、笑っていました。

そしてまた学生たちもやっちゃんとの出逢いの中で学び、考え、変わってゆきます。

昼でも夜でもやっちゃんのために駆けつける彼ら。多くの学生の卒業論文のテーマにもなりました。

その後もやっちゃんと彼らの交流は続きます。彼らの結婚式の度、やっちゃんは呼ばれ、出かけていきました。

やっちゃんだけではなく、みんんあが気づき、育ってゆく、

「大きな育ちの輪」がそこにありました。

時に運動会から、時に朝の布団からふいにいなくなるやっちゃん。

その度探し回る家族でしたが、でも藤瀬さんが広げた大きな育ちの輪っか。

色んな人がやっちゃんを知ってるから、藤瀬さんにすぐに連絡が入りました。

 

様々な笑いとハプニングと伴にやっちゃんはついに二十歳になり、お酒がのめるようになりました。

笑育舎に来ていた佐賀大学の学生たちも少しだけ年を重ね、やっちゃんと乾杯!

今もなお笑育舎を続けているお母さんたち、「よく頑張ったね」

とお互い笑い合いました。

そしてまた藤瀬さん一家もそれぞれの道を歩き始めます。

笑顔の素敵な佳奈美さんも大学を卒業し、看護師をされています。

いつか経験を積んで障害のある子どもたちのために働きたい、そんな夢を持っています。

やっちゃんの弟琉真さんも大学に入学されました。福祉の仕事につきたい、そんな想いで必死に勉強しています。

やっちゃんは周りを変えてゆきました。

やっちゃんと関わり、学び、他者を思いやる気持ちを育んだからこそ、

同じような立場の人に心を寄り添うことができるようになりました。

大和支援学校を卒業したやっちゃん。

多久にある作業所「パンちゃん」で働いています。

朝、10時から3時まで、やっちゃんはパンを作ります。知的障害やダウン症など様々なハンディキャップを持ったスタッフたち。やっちゃんは医療的には三歳の知能と同じと説明を受けたと言います。

でもパン生地を切り分け、丸め、ハムを挟む、そんな複雑な作業を魚が泳ぐようにスムーズにやっちゃんはこなしていました。

 

いつも笑ってばかりのやっちゃんとは別の真剣な瞳、そしてそこにはちゃんとプロフェッショナルな誇りがあったし、「一人の立派な大人」がいました。

やっちゃんが作るパンは、もちもちとした本当においしい。

ちゃんと人を幸せにしている。

やっちゃんんおお母さんが、卵の割り方を教えた小学校一年生のときのことを想うと、涙がぽろぽろこぼれます。

 

ちゃんと繋がってる。一つも無駄なことはなかったんだ。

そう思いました。

やっちゃんの人生はまだまだ始まったばかり。

 

まだまだこれから出逢いもあります。

 

沢山の障害を持った子どもたちのお母さんへ藤瀬さんは言います。

 

「大丈夫。ちゃんと育つから」

アサヒ薬局に来る子どもたちもお母さんたちもまだまだ道の途上です

 

これから。

ここから。

 

まだ見ぬ出逢いや、笑顔がきっと待っています。

そして会期中やっちゃんの誕生日がありました。

誕生日のイベントはやっちゃんが先生になり、子どもたちに習字を教えます。

 

テーマは山水画

 

 

 

やっちゃんの字「山」や「無」をイメージした

 

 

河や雲に黒い絵具でアートを描いてゆきます。

と言っても!!!

自由に

 

のびのび

 

思いっきり

 

楽しんでほしい

あなたたちの未来が広がるように、

 

笑って 

 

笑って

 

足も手も使って 空へと延びる枝のように、葉のように、

子どもたちが思い切り笑顔で、楽しそうに楽しそうにしてくれたから、本当に嬉しい

その間お母さんたちは、新店舗で沢山のことを話しました。

兄弟のこと、進路のこと、毎日の戦いと焼野原と、またそこに出る芽について。

 

沢山の親子の歩みを見てこられた藤瀬さん。丁寧に的確にお母さんたちの質問に答えてゆかれます。

お母さんたち。かっこいいな。

 

もがきながら、泣きながら、

 

泣いたかと思うと笑って、、でも、真剣に生きている

 

かっこいいなあ

 

なんだか、私は今回つくづくそう思いました。

そして、茶話会が終わると音楽の時間です。

 

今回の歌。

 

米津玄師作曲の『まちがいさがし』

 

「まちがいさがしの間違いのほうに産まれてきた気でいたけど

 

まちがいまちがいさがしの正解のほうじゃ

 

きっと出会えなかったと思う」

 

自閉スペクトラムの子どもたち、身体不自由の子どもたち。

 

マジョリティの中のマイノリティでいることの苦しさを覚えることが、何度もあるでしょう。

 

でも、きっと誰かを笑うことができるマジョリティでいるよりきっと、あなたたちが歩む道の中で、

気づくことは何倍も何倍もあるのだと私は思う。

痛みを知り、悲しさを知る中で、口惜しさの中で、誰かに優しく生きる、そんな心がきっと育まれることができるのだと思う。

そして、この音楽会のに集う面々の素敵さを見て、また歌詞の意味を知る気がしました。

 

たくさんの困難故に、巡りあい、出逢い、笑い合う人たち。

この会期中、沢山のお母さんが、書道展にいる藤瀬さんとお話をされ、帰ってゆきました。

藤瀬さんがいる間、旧店舗は、温泉みたいだった。

 

寒い寒い真っ白な雪の中、肩を抱いて吹雪の中にいる旅人が、

そこに温かな湯をみるように、

 

沢山の方が、藤瀬さんと話した後に、肩の力を抜いて、微笑んで行かれた。

「声はして涙は見せぬ ほととぎす 我が衣手のひづを からなむ」

 

というのは、『古今和歌集』初夏、橘とホトトギスの歌群の中の一首です。

ひづとは濡れている、水を差します。

 

涙で濡れた広いゆったりとした十二単の袖。

 

袖は、平安の昔、涙が流れる心そのものを表すモチーフでした。

 

泣くことができないホトトギスに、涙で濡れた袖を貸すように、

 

誰かの涙は、

 

涙を流せないでいる誰かが、濡れ、癒され、再生する泉となる。

そんなことを見るようでした。

 

藤瀬さん。ありがとう。

 

心から

 

心からありがとうございました。

ねえ。

 

泣くに泣けない子どもたち。

 

不自由な体を抱え、家族の負担になっていないかと、

 

我慢していた涙が堰を切ったように流れた子どもたち。

サン・テジュクペリは、第二次世界大戦中、ドイツの攻撃に敗戦を重ねる中、フランス軍の飛行機に乗っていました。

そして言いました。

 

希望の種がある限り、絶望はない。

 

どんな敗北の中にいても、そこに光の種子があるとき、絶望はないんだと。

 

負けても負けてもそこに絶望はない、、と。

君たちはみな光の種を持っている。

君たちの心の中の涙の中に小さな光の種があって、

 

きっと、未来に、芽を出し、光に向かって伸びるから。

応援しているよ。

 

私たちがかつて、誰かに愛されたように、私たちもまたあなたたちを愛しているから