おさな心の君と~子どもに主体があるということ~アートワークショップに学ぶ

はーとあーと 佐賀 自閉スペクトラム アサヒ薬局 大江登美子

おさな心の君、というのは、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』のお姫様の名前。

『モモ』と並んで、大好きだった作品です。

 

学校の教室になじめない少年が、入り込んだ物語の世界で、

 

世界を灰色に覆ってゆく「虚無」に対抗できる、最後の光のお姫様。

 

 

子どもたちの作品に眼をきらきらと輝かせる大江先生を見て、感じたのは、

 

先生の中の「おさな心の君」のような純粋な感動が、

 

子どもたちに感染する、その泉のような光です。

大江登美子 はーとあーと 佐賀 アサヒ薬局 発達障害

11月の日曜日、アサヒ薬局では、障害のある人もない人も、伴に楽しむアートワークショップを開催しました。

 

最初は、子どもの障害を受け入れる作業をなさっている途上の、不安を抱えたり、孤立する若いお母さんたちに、

先輩ママさんであり、障害のある子どもたちと伴に素晴らしいアートを産むはーとあーと倶楽部のお母さま方をお招きして、

 

はーとあーと倶楽部のお母さまたちの姿勢、方法、それから、

 

障害と伴に歩みながらも、楽しそうに、豊かに歩まれるその姿から、

 

何か学び、希望を感じてもらないだろうかと、

このような企画を設けることになっていました。

 

その時、大江先生やはーとあーと倶楽部のお母さまたちがおっしゃられたのは、インクルーシブという言葉でした。

はーとあーと 佐賀 アサヒ薬局 発達障害

 

『インクルーシブ』

 

包括する、という意味の英語。

 

障害を抱えた方に、合理的配慮を行いながらも、線を引かずに、伴に共存する社会の在り方です。

 

それで、今回の企画は、障害のある親子も、ない親子も一緒に楽しむというものに変更しました。

 

(悩みを打ち明ける相手がなかなかいないという声があるので、

障害のあるおこさまの保護者茶話会も並行して続けますのでそこはご安心ください)

 

障害のある子がのびのびと過ごせると伴に、

 

様々な姿、心を持つ子どもたちがいることを知り、

彼らの歩む姿を見て、子どもたちも感じ、関わることで、より彩りのある社会に

なる願いをこめた会でもあります。

 

佐賀 アサヒ薬局 はーとあーと

先生が褒める。心からの言葉で。拍手で。

それが、子どもたちの中にある芽を、ぶわ~と芽吹かせます。

そこここで、産まれる、その子だけの特別な色。

 

特別な「すき」。

熱中し、夢中になって、ローラーを転がし、スタンプを押す。

どんなに小さくても、その子どもが主人公である気迫を感じます。

やる気のスイッチがついた子どもたちは、小さい体から、みんな、楽しそうで、本気の熱を発し、

徐々に室内の温度が、あがってゆくのを感じます。

アサヒ薬局 佐賀 はーとあーと 

「ほっといても、みんなやれるじゃない。すごいじゃない」

とはーとあーとのお母さまたちが言われました。

その通りで、子どもたちは、自らが主体になったとき、そして、

心から褒め、認められたと感じているとき、すごい力を発揮するのだと感じました。

障害 はーとあーと 佐賀 アサヒ薬局

40人が同じことを受け身で、机につき一時間、それを五時間。

 

同じ速さで進む単元。

 

 

子どもたちに学ぶ機会があることは素晴らしいこと。

本当にありがたいことです。

 

ただその枠に納まることができない子どもたちにとっては、

 

 

それが、少し、

 

苦しい。

今、発達障害の教育の理解は、まさに途上にあります。

 

社会の認知が少しずつ、少しずつ進んでいます。

算数ができない、字が書くことができないという子どもたちは、算数の時間だけ、国語の時間だけ、

支援学級に行きます。

 

そして、通常の授業や、給食などは、交流級と呼ばれる、一般の教室に行くのです。

 

支援学級には、その子どもに寄り添い、その子に合わせた教育をしてくれる、いい先生がいっぱいいます。

ただ、小さな子どもになったとして考えた時、一つ、問題がでてくる。

 

それが、自尊心と、劣等感の問題です。

 

普通の学校に行くお子さんにとって、

 

「どうして、僕だけみんなと同じようにできないんだろう」

 

「どうして僕だけ違うクラスに行くんだろう」

 

ということを感じてしまうことがあります。

 

 

 

宿題をできない子どもたちにとっても親にとっても、毎日宿題をさせて、提出しなければならない

宿題プレッシャーというものもあります。

 

友達との関係もあります。

 

 

 

 

 

発達障害を抱えた子どもたちが、劣等感から、統合失調症や鬱になることを二次障害を言いますが、

今の日本ではこの確率が高い、、。

 

 

「学校に行きたくない」

 

「学校に行けなくなった」

 

そういう声を聞くことがあります。

それは、きっと受け入れ側の私たち社会が、まだまだ発達障害について、知らないことが多いからだと感じます。

 

私たちと同じ社会に、みんな生きているから、

 

発達障害について、学校で、親子で一冊の本を読むだけで、たぶん、少し変わるので、

皆さん、読んでみてください。

 

偏食や、衝動性や、多動には理由がある。

 

子どもたちのいうことがわがままではなく、

子どもに配慮してほしいという親の訴えが、甘やかしではない、ということが分かると思うのです。

 

学研のヒューマンケアシリーズなんかお勧めです。

そして、少しだけ自由があればいいのかもしれません。

 

私は、大学のとき、欧米型の教育を四年間、受けました。

少人数で、ディスカッションをし、受け身ではなく、生徒に主体があり、

検索方法、論文の書き方、人前での意見の述べ方、徹底的に方法を叩き込まれるけれど、

テーマについて、自己の求めることを追ってよかった。

 

答えは一つではなく、五人いれば、五個の異なる答えがある。

 

考える主体が自己にありました。

 

 

主体的にテーマについて取り組み、教授と生徒は、本気で討論をしていました。

自由があるからと言って、さぼる人はほとんどいない。

みな余計にものすごく熱心に勉強していました。

 

 

 

考える主体であれる自由があるとき、人は、前向きになるのだと思いますし、

 

違う個である互いを尊重することを覚えます。

佐賀 アサヒ薬局 障害 自閉 アート

 

 

大江先生は、調和に配慮されながらも、子どもに主体があることを認め、心から尊重されます。

尊重されている

 

そのことを子どもたちは、敏感に感じるから、溢れるように、沸いてくるものがあるのだと感じます。

 

 

  「知らないということ」から、子どもたちが苦しんでいる現状があっても、

 

幼心の君が、灰色の虚無から世界を再び蘇らせたように、

 

そこここで、感じ吹き出す想像の泉が、世界を再び彩ることがあるのだろうと、希望を持ちます。

はーとあーと 障害 佐賀 アサヒ薬局

そしてまた、薬局にいて、いつも、一枚の写真を見るように、胸打たれるのは、

お母さんと、子どもの伴に歩む姿です。

 

子どもの障害、もどかしさと伴に歩むお母さんたち、社会の偏見の中でも、精一杯、子どもと歩むお母さんたち。

 

一組、一組に、エールをこめて、タゴールの詩を送ります。

 

 

「いつまでも花を摘んで束ねていないで歩いていきなさい、だって、あなたの行く先々に花は咲いているのだから」

 

それぞれの親子の歩む先々に、

 

きっと花が咲いてるから。

 

障害 アート アサヒ薬局 佐賀

その花の存在を確かに教えてくださるはーとあーと倶楽部のお母さまたちに、

 

本当に、心から、心から感謝をこめて。

アサヒ薬局 大野正喜 はーとあーと 障害 佐賀

さて、今日の音楽の時間は、星野源『くせの歌』

 

君の癖を知りたいが ひかれそうで悩むのだ

昨日苛立ち汗かいた その話を聞きたいな

同じような 顔をしてる 同じような 背や声がある 知りたいと思うには 全部違うと知ることだ

暗い話を聞きたいが 笑って聞いていいのかな

思いだして眠れずに 夜を明かした日のことも

同じような 記憶がある 同じような 日々を生きている

寂しいと叫ぶには 僕はあまりにくだらない

悪いことは重なるなあ 苦しい日々は続くのだ

赤い夕日が照らすのは ビルと日々の陰だけさ

覚えきれぬ言葉より 抱えきれぬ教科書より

知りたいと思うこと 謎を解くのだ夜明けまで

君の癖はなんですか? 

 

うん

 

いい

 

 

 

等など、さらっとかるく、ふわっと暗いのも、味があって、とってもいいですね。

 

「全部ちがうとしることだ」

 

くせがあるから魅力的なのでしょうね。

そして、最後に、毎度アサヒ薬局をゆるーい西海岸に換えて下さるスギスタイルさんの笑顔

 

おいしい豚汁をありがとうございます!!