笑い溢れるその場所で~笑育舎体験記~

障害者支援 佐賀 アサヒ薬局

踊り、笑う、、腰を振って、楽器を鳴らして、体が喜ぶ。

笑顔が溢れる、、。

加速してゆく音楽。笑って、笑って、光がはじける。息が切れる。

 

踊っている彼らは、もう幾度もこの踊りを、繰り返してきたのだろう。

 

様々な障害を抱えた子どもたちでも、覚えられる動きを考えて作られた踊り。

 

その先を知っているやっちゃんは、その先へ、その先へ。

みんなより早く踊る。誇らしげに。

 

僕は知ってる。僕は踊れる。

だから、余計に嬉しい。

 

そのどや顔につられて、つっこみながらも、他の子たちも笑う。

そして、やっちゃんの母が笑う。

我が子が笑っているそのことが、嬉しくてたまらない母の笑顔だ。

 

笑育舎。

 

笑って育てる場所。

そこは母の愛が溢れている場所でした。

 

 

 

障害支援 佐賀

十月の週末、、。

川沿いの公民館の調理室には、白い光がいっぱいにさしこみ、ホットケーキを焼く甘い匂いに包まれています。

 

軽度から重度まで、ダウン症や発達障害、様々な障害を抱えた子どもたちが、ボールに牛乳を入れ、

泡だて器を回し、ホットケーキミックスの裏の作り方を熱心に読んでいます。

 

赤い服を着た、ムードメーカーのやっちゃんは20歳。

そのお母さん藤瀬さんが、やっちゃんが小学1年生の時に立ち上げた笑育舎は、

料理を作るその過程の中で、一つずつ、できることを増やしてゆく、障害のある子どもたちの成長のための場所です。

 

13年前、やっちゃんは卵が割れなかったと言います。でも、繰り返し、繰り返し、笑育舎で料理を作るうちに、

卵も上手に割れるようになり、今日はおいしそうなホットケーキを一番に焼き上げていました。

薬局に来る新米のお母さんたちは、自分の子どもに障害があることを受け入れ、伴に歩むその作業の途上です。

学校でのつまづき、周囲との葛藤、車道に飛び出す子どもたちを追いかけるストレス。

悩みを深め、涙される若いお母さんたちと、どうやって歩んでいけばいいのか、その悩みの中にいるとき、

笑育舎の活動をなさっている藤瀬さんとお話をする機会がありました。

 

「大丈夫。笑えるようになるって。」

その場所に行くまで、私もその言葉の意味が分からなかった。

でも行ってわかりました。

ホットケーキを焼けあげてゆくその場所には、心からの笑いが溢れていました。

 

失敗しては笑い、成功しては笑う。

 

今、温かに、ゆったりと、心から満ち足りた笑顔で笑う藤瀬さんも、最初からそうだった訳でもありません。

 

棄ててきたものが沢山ある。

 

諦めてきたことも沢山ある。

 

そう言われました。

でも、

藤瀬さんは、やっちゃんが1年生の時、笑って育てよう、そう決めます。

ゆっくりでもいい、この子のペースで、一つずつ、一つずつ、できるようになるから。

そして笑育舎を立ち上げます。

そして藤瀬さんたちの見守る中、やっちゃんはたちは笑いながら、成長していったのです。

ホットケーキを作った後は、近くのスーパーへ買い物に行く練習をしました。

お題は冷凍チャーハンかカップ麺。

何らかの知的障害や発達障害があっても、万一、面倒をみる親に何かあっても、自分でも作ることのできるもの。

生きるために食べるということ。

そこにも親の愛を感じてはっとしてしまいました。

子どもより一日でも長く生きていけたらと願う

大江健三郎が障害のある子どもとの日々を書いたエッセイを思い出しました。

 

 

買い物は、ボランティアと障害のある方々がペアになります。

私がペアになった青年とのスーパーまでの道は、私には忘れられない道になりました。

生真面目で、繊細で、音楽が好きで、柔らかい心を持った青年。

 

知的レベルがものすごく高く、自分の障害がわかるから、感じる悲しみ、劣等感、それから、就労訓練での努力。

何も変わらない。おんなじだ。

理解されたくて、人との温かな繋がりが欲しくて、自分の将来が不安で、、、。

 

なんにもなんにも変わらない。

 

 

障害があっても、頑張りたい気持ちがあり、青春期の憂いと寂しみがあります。

 

彼と、語り歩く道は、彼の迷い悩みながらも進む人生の道そのもののように感じました。

 

彼が選んだ香ばしいニンニクチャーハンを伴に食べ、お腹いっぱいになりすぎてホットケーキが食べきれなくて、

でも、ゆっくりでも少しずつでも口に運びながら、一緒にくつくつと苦笑いをしながら、胸がいっぱいになります。

午後は、冒頭に書いた、音楽とダンスの時間でした。

家に帰り、夜、布団に入り、ふっと今日一日のことが蘇りました。

 

やっちゃんの笑顔。青年との道。

 

光がさしこむ調理室の明るさ。

 

清潔で少し明るいところ(関係ないけど、ヘミングウェイの短編のタイトルですね。名作です)

 

もしも、我が家もそんな風に、家族の障害を受け入れることができていたら、あんなに悲しい場面の数々を見ずにすんだのかな、

父の障害を受け入れることができないまま、祖母は悲しく死ななくてよかったのかな、、

 

ほろほろと流れ続ける涙を子どもたちが拭いにき、これはいい涙なんだと説明をしました。

 

卵が割れるような、そんな涙なんだから。

 

 

障害を抱えた人も、その家族も、

 

障害を抱えた子どもも、お母さんも、

 

少しでも微笑んで過ごせるように、

 

こうして笑っている人たちのことを紹介します。

 

そしてまた企業の障害枠が、もっともっともっともっと拡大されますように。

 

青年が教えてくれたイギリスの民謡の、悲しくも広がってゆく調べを聞き、

 

曇り空と草原のイメージに想いを馳せつつ。